人生を何十年か過ごしてくると
“あきらめるか否か”と言う選択に迫られるときが
あります。
そして、ときにその選択は
自分の人生において「大きなもの」かもしれない
とさえ感じたりするときがあります。
さらにいうと、大きなものかもしれないと感じた
その決断の結果を超えて、
また「大きな選択」がやってきたりもします。
…私達はいつでも、これまでの人生最大の決断を
する場面に遭遇するということ。
そして、その先の未来に、年齢を経た自分にとって
それまでの人生最大の決断をする場面が
やってくる(らしい)ということ。
この法則からいうと、私達がすべきは
今ある選択肢をかき集めて
その中で、選び得る、最良の選択をすること。
つまり、“あきらめる”、“あきらめない”も
選択肢の中に放り込んで、その中で一番の
結論を出すと言うことです。
その時に、
“あきらめること”にこだわりすぎる
“あきらめるない”にこだわりすぎる
その両方(こだわりすぎること)は、
最良の選択をするときにいい影響は与えません。
…どちらかに視野が、立ち位置がよりすぎて
反対側の利点を見落とし、
自分の意見の改善点を見落とすから。
いわゆる“近視眼的”な情報に囚われる上に、
“あきらめる”についてくることのある“屈辱感”
“あきらめない”についてくることのある“気概”
というような語“感”が、判断を惑わしたりします。
そこで、“あきらめる”というようなキーワードや感じが
ちらついたときには、
“あきらめるか/否か”の判断…指向・発想/風景・選択肢
を今までと違う距離感で捉えてみます。
例えば、背筋を伸ばして深呼吸をする。
座っているのなら、立ち上がる
立っているのなら、場所を変える
判断に使っている言葉の「語“感”」も一旦外したいですし、
“あきらめた”先の未来のプラスマイナス
“あきらなめかった”先の未来のプラスマイナス
その両方から探求して
どんな良い選択肢が見つかるか、見つけるか…です
私達が決めるということは、多かれ少なかれ
なにかを“選び”、何かを“選ばない”ということ。
“選ばない”と決めた事は、少なくとも“今は”
一旦あきらめるということになります。
そして、もし、時間を置いてでも、
後からでも
それが、必要なものであれば、その時には
再び、私達の選択肢にそれ…ないしは…それを満たすモノが
上がってくるはずです。
だからこそ、今、この瞬間にしたい選択は、
“今”選びうる選択肢を集めて
その中で選びうる最良の選択をすること
…今の自分が選ぶ一番で良いんです。
そして、どんな選択であっても
自分の選択を認めて、その結果がどんなものであれ、
次の“自分”の物語のスタートとして一歩を踏み出す。
自分の自分による自分のための選択です。
“選択肢”を手に入れる方法として、
私達は、NLPをお伝えしてます。
意外に、この人生、
面白い(≒興味深い)道(ルート)が見つかるはずです。
©varunalight / 123RF.COM
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2016.11.30 一部改変)
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