それほど厳しい家庭環境に
育った覚えはないのですが、
「相手の“顔色”を気にする」ということを
それなりには身につけてきました。
“虎の尾を踏む”、“逆鱗に触れる”
ことで、酷い目に遭わないようにと、
周りの振る舞いを見ながら
身につけた・・・らしいのです。
ただ、どんなに“顔色”を気にしても
相手の虫の居所が悪ければ、
どうやっても、叱られるし
なにもしなくても、叱られる
・・・なんて相手に遭遇したことも
あったかもしれません。
少なくとも
相手が“怒る”か否か
相手が“喜ぶ”か否か
は、相手次第だということ。
もちろん、どんな人にも好みがありますから
その人の、
“怒りやすい”パターンにハマる言い方
“喜びやすい”パターンにハマる言い方
があるのも事実。
それを“研究、観察”するというのは、
“顔色”を窺うというよりは、もう少し建設的に
“機嫌良く”聞く・・・判断する、会話するための
大切な“パターン観察”と言ってもいいかもしれません。
ちょっとした言葉のニュアンスではありますが、
“顔色を窺う”というのが受け身的、
消極的な関わりだとすれば
“パターン観察”は、相手を避けるのではなく
相手を-怒ることも、喜ぶこともある存在-として
受け入れる、主体的、積極的な関わり
です。
その意味で、相手が怒るか/喜ぶかを
一旦、相手の“自由”と捉える
・・・自分が何を言おうと、
相手はその人の好き勝手に怒ったり、
喜んだりする。
と自分の“所為”責任から切り離してみませんか。
そうすれば“相手と話せる関係”を引き出す
言葉の選び方、場の作り方に
主体的に関わる事ができると思うんです。
怒鳴られる(恫喝される)のを
「そういう言い方をする人だ」
と捉えてみる。
どんな伝え方をするかも
その人の自由だ思えば、
(聴覚的にはちょっとしんどいですが・・)
その人の言った“内容”について
関わってみるのもいいかもしれません。
相手は、その人が有利に立てる様に
話すかもしれませんから、
相手の“感情”、“表現の仕方”について
どれを選んでも“寛容”に受け止められたら・・・。
すると、相手が怒ろうが怒るまいが
その反応を受けて起こる“感情”は
・・・自分のものでした(笑)
どんな反応もありうると、深呼吸をして
相手の反応を、その反応そのものとして
受け取ってみますか。
慣れるまでは、ちょっと、
「うわっ」って感じるかもしれませんが。
望むゴールは、制圧したりされたり
することではなく、
“建設的な”関係であり会話のはずですから。
では。
©airdone / 123RF.COM
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2016.10.19 一部改変)
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