NLPを学ぶずっと前、
“究極のポジティブシンキング”なのだといって
「“期待”しないこと」
ってのをやっていた時期があります。
多分、中学とか高校だとかの頃。
…今考えると、かなり弱気な若者(苦笑)
直接お目にかかったことのある方ならば
ご存じかもしれないのですが
僕自身、随分変わった奴だと思うんです。
だれかに“期待される”のは
嫌ではないのだけれど
自分が“自分を期待”すると
これが、どうにも良くない。
・・・誤解を怖れずに言えば
自分はやっぱりごまかせない。
自分が自分を“期待”するとき、
ある意味“容赦”なく期待するのである。
もちろん、これは“僕”の話。
それぞれの人が、それぞれにとって
だれの“期待”が一番嬉しくて
だれの“期待”が一番シビアか
という基準があると思います。
その人にとって、
“励まされる”期待や
“追い込まれる”…もしかすると苦しめられる期待
があっても何ら奇妙ではないということ。
そして、今、コミュニケーションや
人間関係について学んだことで
断言できるようになったこと。
それは、
「せっかくの“期待”だから、
ありがたく、“励まし”として
使え(使わせてもらえ)ば
いいじゃない」
ってこと。
“期待”は、あなたの“未来”の評価。
仮に、“今”まだ、その実力がないと
感じているのであれば、
その“未来”まで、時間の許す限り
力を蓄えれば良いだけのこと。
言ってみれば“期待”は
ある種の“見積”なのだから、
“期待”された側は、
「最善を尽くす」をするだけ、
“物理的”にそれ以上のことは
しようがない。
・・・だから本来は“期待”に苦しめられる
必要は無いのかもしれない。
まぁ、本音としては、
“過小評価”されるとちょっと癪に障るので
最善を尽くすの2割増し・・・とか考えたりします。
・・・が、
「“2割増し”出来る時点で“最善”ではない」
というのが妥当なところ。
結果、いかなる“期待”にも、「最善を尽くす」
ってことが結論と言うことになりそうです。
あなたが何かの商品を買うとき
金額の“見積”をとるかもしれません
そして、その金額が期待通りか
高いか、安いか確かめると思います。
しかし、その“見積”に苦しむのではなく、
まずは、相手に交渉をするのではありませんか?
そして、自分のおサイフを確かめるのではありませんか?
“期待”も似たような扱いで考えれば、
“期待”に苦しむのではなく、
自分の“今”できる最善を確かめて、
必要があれば、相手に、サポートの交渉をする。
ねぇ、せっかくの“期待”だから、ありがたく、“励まし”として
使わせてもらえばいいじゃないですか。
これが、あなたのあなたの心が
関わる“人間関係”の1つのテーマ『期待』に
たいする、NLP的コミュニケーションの
アプローチです。
私達のHPでは、自分の気づきをどのようにするか
についての、アイディアやサポートについて
お知らせしています。
NLPフィールド HP http://nlpfield.jp
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色々な提案や情報をお伝えしています。一度遊びにお越しください。
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