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原因と結果と責任と

原因と結果と責任と

ある友人と出かけると
どうやら雨に遭うことが少ない
…そんな事に気づく

するとどちらから言い出したか
 「晴れ男(女)だね」と
呼ばれたり
 「晴れ男(女)だから」と
自分で伝えたり
…することになる。

(仲間うち調べの)
感覚的統計によれば
どうも確からしい(笑)
なんてことになる。

よくよく考えてみれば、
 「その友人と出かけること」と
 「出かけた時の天気が晴れだ」と
いうこととには

相関関係(関連がある)と
言うのかもしれないが

 「その友人が来るから、晴れる」

という因果関係がある
ということにはならない。

もし、因果関係が証明されるようならば、
ゲリラ豪雨も、梅雨前線、秋雨前線も台風への
政府の災害対策への投資は、
スーパーコンピュータの開発や
土木工事ではなく
その地域の
晴れ男、晴れ女と呼ばれる人々と
雨男、雨女と飛ばれる人々との
バランスを整えるための、引っ越し費用
ってことになる。

場合によっては、
雨男、雨女と呼ばれる方々は

 「水不足だからどこかに行ってくれないか」

と政府から依頼される
…なんてことになってしまう。

ちょっと荒唐無稽な喩えでしたが、
 関係があるということと、
 因果関係があるということには
ちょっと距離があるということ。

その友人が、
 「晴れ男(女)」
なのは、
もしかすると、
 天気が下り坂になりそうだ
と気づいたとき、
参加を断っていたのかもしれないし、

(雨をもたらす)低気圧が近づくと、
体調が悪くなって
結果、雨のイベントには居なかった
のかもしれない。

起こっている現象の、
本当の原因は、
別の所にあったりすることが
あるのだ。

私達は、ときに、自分の力では、
どうにも出来ないことに対して
影響を与えようしたり、
責任を負おうとする。

…人生良くも悪くも

 「人事を尽くして天命を待つ」

自分が出来ること、
自分のベストを尽くしたら

あとは、それこそ、なりゆきを
天に任せることになる。

往々にして、そのとき自分なりに

 “ベストを尽くせなかった”

という思いがあると
(実際に尽くしていたとしても)

“責”という言葉が、浮かび上がり易い。
自分を責める、あるいは誰かを責める
ということ。

そのときに、
結果は結果として
未来のために改善改革を
追求したいけれど、

原因については、
 人事(人が為し得たこと)か
 天命(人知を超えたこと)かを
分けて“責任”を検討しないと、

未来に繋がらない、
ただの犯人捜し
“追及”で終わってしまう。

…基本は

  「罪を憎んで人を憎まず」

 だと思うんだけど、ついつい

  「罪をネタに人を憎んじゃう」

 になりがち。

だから、原因と結果と、そして責任とを

ひと呼吸置きながら区別して扱う

やり方が大事だとおもうんですよね。

NLPでは
そのアイディアに力を与えてくれる考え方に、
「肯定的意図」というのがあります。

どんな人もその結果をつくったその時に、
考え得る選択肢の中での
ベストチョイスをしているということ。

その時の選択肢に、望ましいものが
足りなかったと考えること。

…頭ごなしに“責め”ても
 未来を築く、建設的な関係も発想も
 なかなか見つけにくくなると思いますよ。

なぜって、どんな生き物も
“責め”られれば、
身を守ろうとしますから。

自分の中でもこの“責め”の
文字が浮かんだとき、
「今、何が出来るか、これから何が出来るか」に
置き換えること、心がけています。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.11.1 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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