“会話をしている”という状況では、
必ず、自分は自分の場所に居て、
相手は相手の場所に居ます。
会話をしていなくても、
気づいている相手が居るとき、
自分は自分の場所に居て、
相手は相手の場所に居ます。
否定のしようがない“事実”です。
が、ときに、
自分の存在を守ろうとして、
自分の主張を通そうとして
つい相手の存在を“否定”しようとします。
「お前の話なんか聞きたくない」と
会話において、「話を聞かない」というのは
ほぼほぼ、相手の存在を認めない
ことになります。
すると、相手は
「こいつには話しても無駄」と
こちらの存在を“否定”し始めます。
それ以降の、罵詈雑言は、
周りの関係のない人達にとって
騒音の塊でしかない。
こんな会話を、
「ついしていたかも」と
いうことに興味を向けてみませんか?
会話をするには、
自分が話をして相手がそれを聞く
相手が話をして自分がそれを聞く
というプロセスが不可欠です。
ときには、相手は相手が考えたことを
ときに遠慮会釈なく言ってくることがあります。
しかし、それは
相手が
“そう思っている”
ということ以上でも以下でもありません。
相手の言うことが、
正しいか誤っているかとは
別問題です。
だたそこに、
相手が居て、その相手に
ある意見があるということ。
・・・言うは易く行うは難し
鋭い言葉を受けるのは、正直きついですし
つい、言葉を遮りたくもなります。
ただ、少なくとも、
相手の主張が終わった後、それが難しくても
互いの会話(言い合い)が終わった後でも
そこに相手の意見が合ったのだ
そして
そこに意見を言ってくれる相手が居たのだ
ということを振り返ってみて下さい。
怒りや気持ちの上がり下がりは
自分自身の評価基準を乱します。
つまり、
いつもの“自分”ではない“自分”に
いつもの自分を抑えつけられるわけです。
可能な限りその出来事が起こった時点の近く
もちろん、終わった後でも良いんです。
「僕はここに居て、君はそこに居るんだ」
ということを自然にあるいはあらためて
確認してみてください。
すると、その会話からも
あなたが活用すべき知見が
見つかるはずです。
・・・このブログを書いている間中
例の曲のサビのメロディが
頭の中で鳴ってました(笑)
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.10.4 一部改編)
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