人生、こんな奇妙なことが起こる。
自分が自由に選んだ選択肢が
自分の自由を奪うのだ。
ときには、
選ばざるを得ない状況にあったんだ
といいたくなることも
あるかもしれないが
きっと、冷静な第三者は、
「どうして、
選択肢がなくなる状況まで
放っておいたの?」
というだろう。
選ばざるを得ない状況に
追い込まれるとしても
そこには、意識的、無意識的な
選択があるはずなのだ。
何かを選ぶとき、当然色々と比較する。
そもそも、選択肢があるのか
あるいは、自分に出来るかどうか
さらには、選択した後は問題はないかと。
経験的に言うと、多くの場合
選択した後のリスクに先に気づく。
それが、第一発見される“不自由”の
正体ではないだろうか?
リスクを過大評価したり、失敗を許さないと
大きく“不自由”になる。
「命あっての物種」というが、
「命」が保たれる以外のリスクは
選択肢のテーブルに載せられる。
次の、自分に出来るかも、
“自分が完璧にやる”を基準にすると
大きく“不自由”になる。
自分が成長すれば…
協力してもらうことが出来れば…
人任せにするわけではないけれど
全ての自分でやる必要がないとしたら
選択肢のテーブルに載せられる。
選択肢も、今、ここになければならないと
考えたら大きく“不自由”になる。
待てば、動けば、あるいは、状況を動かせば
選択肢はないだろうか。
“自由じゃな”かったの
自分が「こういう条件で選択肢を探」していたから
ではないだろうか。
では、
「こういう条件で選択肢を探」していたのは誰?
となると、自分だったりする。
「う〜ん」なのだ。
その意味では、自分がどんな状況でも
自分の選択肢を見いだせるように
心をゆるめる。
選択肢が見いだせないことに気づいたら、
その選択肢を超えて、
「どうなったいいか」を
考えた方が早いかもしれない。
あなたの周りに
あなた気づいていた「選択肢を超えた」
「選択肢」を知っている人が
いるかもしれないじゃないですか。
では。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.9.23 一部改編)
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