「信号の青って、緑色じゃないの?」
諸説あるようですが
もともと日本語の言葉に色の表現が少なかった時代、
“あお”という言葉が緑色も意味していたことの
名残だとも言われています。
・・・日本語固有の色は
あか(明色)、くろ(暗色)、しろ(顕色)、青(漠色)
だったそうです。※1
言葉は、何千年もかけて、個別具体的な表現を手に入れていきます。
しかし、その表現が存在しなければ
あるいは、その表現を知らなければ
いわゆる“緑色”も“あお”と同じ言葉で表現されることになります。
そして、色にそれ程詳しくなければ、
「藍色」もあおですし、「群青色」もあおですし
「水色」もあおですし、「空色」もあおです。
ところが、小説家や詩人の方であったり、
画家やデザイナーの方であったりすれば、
表現する語彙が少ない人にとって「あお」と呼ばれる物に
微細なニュアンス、表現、場合によっては
空気感、心情によって、色の名前でかき(書き/描き)分ける
ことができます。
しかし、受け取る側に、
それを区別する、言葉や感覚的な鋭敏さが
なければ、「あお」のひとことに集約されて
伝わります。
その人の思いの一端は「あお」で伝わります。
−−−
それでも、見る側、読む側、感じる側としては
その人が持っている
「言葉」の感覚、「見方や色への繊細さ」、
あるいは、「構図の捉え方」
でその作品を楽しみます。
だから、作家の意図通りの楽しみ方をしているかどうか
なんて、作家の知るところではありません。
ただ、作家の伝えたかったことかどうかは別にして
楽しむ方の、“琴線”に、楽しむ側のやり方で
触れて、「いいねぇ」となったのです。
作家の方が、自身の微細なセンスをもとに
つくった芸術作品でさえ、そうなのですから、
ふだん何気に話す“言葉”で、誤解や勘違いが
起きても不思議ではない。
ましてや、親しい人だったりすれば
言葉や表現の選択はより良い加減にもなります
「きっと分かってくれるだろう」
なんて感じに…
つまり、全ての人はそれぞれ自分のやり方で
世界を捉えます。
それぞれに知っていること、微細に区別が出来ること
がちがうから、
“言葉”を使って、おおよそ伝わる「一般化」された
言葉の世界で生きています。
だから・・・生きづらいのではなくて、
だから、それを知っていれば
もっと、わかり合うことが出来る
もっと、良い繋がり、良い関係・・・理解し合える
って考えてみるのはどうでしょう?
ちょっと丁寧に、コミュニケーションを
“わざわざ”練習してみる。
こんな提案もHPでしてます。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.8.9一部改編)
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