“がっかり”するのって、
あまり心地の良いものではない。
方向感で言えば、上から下に“落とされる”感じ
といえば、「そう、そう」って
思ってもらえますかね。
少し知恵がついて、“賢く…ずるく”なったころから
“周りへの”あるいは、“自分への”
ハードルを下げることを憶えちゃう。
小学校高学年の頃は、
心配症というか、お調子者の僕自身を
気遣って、親(特に母親)が
“期待する”ことにブレーキをかける。
この期待する根拠は、いわゆる
「根拠のない自信」。
これから、その未来への“期待”に
むけて、その“期待”の分だけ
ある種の、我慢や、試練や、労力を
必要とするのではあるのだけれど、
「そんな、夢みたいな話、できる訳無いでしょ」
と、安全な、ハードルを下げた方向に
進めようとする。
確かに、飽きっぽかったり、根気がないと
思われていたのだろうとは思うけれど、
そのときは、「なんだか、そうかなぁ」と
おもって、自分自身への“期待”下げてたなぁ
と今更ながら。
やりたいことをやるための“熱意”は
間違いなくあったんだよね。
ただ、“我慢・試練・労力”を
「バッチリ」するには、ちょっとした
サポートが必要だったかもしれないけれど。
そう考えると、もっと自分の
「やりたい」「できる」に
期待しても良いんだろうし、
むしろすべきなんじゃないか。
“~すべき”はそもそも好みではないのだけれど
ここでは、ちょっと想いを強めに
「もっと自分に期待しよう!」
って言います。
そして、その上で“がっかり”対策をすれば良いわけ。
・・・上手く行かないと、予測してること
全て100%というわけには
いかないかもしれないけれど
準備の使用はある。
例えば、小学校の頃の僕ならば、
目標を細切れにして
「やっぱ、俺って出来ちゃうんだなぁ」って
調子に乗せちゃうとか、
あるいは、上手く行かなくって、諦めちゃおうとしたときに
「上手く行かないときはあるものだ」って
ショックを和らげるとか。
上から下に“落とされる”感じから、
「少し降りて、もう2歩登っちゃう?」
ま、お調子者の僕には、コレが合いそう。
自分への“がっかり”を避けるために
自分に期待しないのはもったいない。
ただ、せっかくなので、
「自分に期待すること」と
「“がっかり”するかもしれない事への対策」と
を訳で準備すれば、
なんてことはない。
“がっかり”って単に準備不足なだけ。
できる限り準備してれば、
“がっかり”の代わりに「どうすれば」が
現れるはずだから。
そう、だれもが、
もっと自分に“期待”しちゃって良いんだ。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.1.8一部改編)
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