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【今週のひとこと】“これは問題なのだろうか”という問題

【今週のひとこと】“これは問題なのだろうか”という問題

【今週のひとこと】

何事も考え過ぎると問題になってしまう

(フリードリヒ・ニーチェ/ドイツの哲学者)

Everything that one thinks about a lot becomes problematic.

                Friedrich Nietzsche

よく考えることは、大切な事なんだけれど、
考え過ぎると、裏目にでる・・・どうすりゃいいんだ!

−〜−〜−〜−

若い頃、いわゆる「凡ミス」をすると
「よく考えろ!」
といわれる。ところが、多くの場合
「よく考える」を超えてしまう。

そうすると
 「お前、どんくさいなぁ」
といわれる。

まぁ、考えても、考えなくても
叱られるというパターン。

今から考えると
「よく考えろ」というのは
ずいぶんムチャぶり言い方だ。

“何をどのように考えるのか?”

若い頃にはこの部分の知恵がなかったりする。

だから、
“よく考える”ときには、
迷子になりながら色々考える。

加えて“失敗しないように”と思うと、
成功の最短距離を探り始める。

ところが、この段階で
「成功」しないために知恵(経験)はあっても
「成功」のための情報収集は
出来ていなかったりするのだ。

そもそも情報が足りてないのだ。

だから、最短距離を探ろうとすればするほど
“答えの材料がそこにはない”のだから
どんどん「わからない」のスパイラルに入ってしまう。
最終的には、「“なに”をよく考えればいい」のか?

が「よく考える」の中心になっていたりするのだ。

「よく考える」は、すでに
 何をどのように考えるかの準備があって
 機能する。

 一方、「考え過ぎる」っていうのは、
 実は、「考えている気分」で
 迷子になっていたのかもしれない。

問題に遭遇したときもそう。
早く“問題”から逃げ出したくて、
“解決”の最短距離を探るんだけど
“問題”の周りにある、
成功、解決のための“経験・知恵・情報”を
拾い切ってなかったりする。

“問題”の近辺にある“答えの材料”を手に入れる
その為には、場合によっては“問題”と向き合うことに
なるのかもしれない。

それ無しに「よく考える」という振る舞いをすると、
“考えすぎ”の迷子になるというのも道理。

ちょっと「考えすぎ」かな
って感じたら、一回大きく深呼吸。
そして、
何について、どう考えて、考えをまとめようか
と自分の“考え”へ意識的に「一声掛ける」。

“これが問題なのか”どうかという判断も含めて
きっと「考え過ぎ」の迷子から抜け出せるはず。

(初出 アメブロ “想いから実現への翻訳家 コミュニケーション・イノベーター”2016.9.19 改変)
http://ameblo.jp/awakeners

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