毎週、いろいろと書いていて何なんですが…
言葉で表現できるコトって、
どうしても、全体の一部になるんですよね。
例えば、“足るを知る”
…もともとは中国の古典「老子」の中の言葉
「足るを知る者は富む」から来ているのですが、
「人間の欲望にはきりがないものである。
だからこそ、欲深くならずに
分相応のところで満足できる人は
心が豊かで幸せなのだ。」
というのがその訳。
・・・ってその“足るを知る”の揚げ足を取ると、
「心が豊かであることを良しとするのは
心の豊かさを求めてるってことだよね、
心が豊かであってもなくても、それに満足すれば、
足るを知らなくって良いんじゃないの?」
なんてことになる。
・・・まぁ、もちろんこの揚げ足取りでは、
論点がかみあっていないことはお気づきですよね。
NLP的に考えれば、
「今、現状に満足していない」事に気づいたときに、
自動的に無意識の導くがまま…欲望に任せたまま
満足を追求していると、
それは、大変だ! デス。
「満足」する限度を、決めてないですから。
無意識は、運転席のない自動車のようなもの。
あるいは、馬車で言う馬のようなもの。
ある方向への爆発的な推進力“は”あります。
しかし、どこに向かうかの運転者は存在しません。
なにしろ、“無”意識・・・気づいていないということは、
“自分の世界”ですすむことになりますもんね。
・・・“足るを知る”の状況で言えば、老子先生は、
「ちゃんと、目配りしておかないと、
(無意識である)“欲望”が暴走するぞ~」
なんてことを教えてくれているのかもしれないと
推測できちゃいます。
ですから、良(よ)い加減に、欲張っちゃえば良いんですよね。
成長したいし、
人間として器も大きくなりたい。
この世界に生まれてきたからには
その役割も全うしたいし
経験できることはできる限り経験したい。
どこかで、交通整理や優先順位付けが必要なのは、
想像できるので、このあたりに
「“意識的”に欲張ってみる」のが良いんじゃないかな。
私達には、
無限の可能性と無限の欲望がある一方
時間、場所、物理的な身体などなどの制約もある。
そこのバランスを取るには、
「“意識的”に欲張る」…あるぶぶんでは「足るを知り」
心豊かに、機を見て次の「足るを手に入れる」
・・・欲張りすぎですかね?
いえいえ、きっとバランスです。
意識と無意識との。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.12.25 改編)
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