「知っていることとできること
出来ることと実践することとは違う」
ということを知っているということ
“失敗”と聞くと、どうしても嫌な言葉の印象
を受けます。できたら、失敗はしたくない。
すると、ときとして
「知っていることとできること
出来ることと実践することとは違う」
の言葉が、否定的に機能します。
「知っているからといて、出来るとは
限らないんだから、やらない方が良いよ」
とかいう、アレです。
多くの場合、私たちが次の選択肢を失うのは
こういった、知っていることが教えてくれる
“警告”の使い方、受け止め方。
言ってみれば、
「知っていることとできること
出来ることと実践することと
実践することと使いこなせていること」
が本質的にどういうことかを
体得しないでこれを使うと、かえって
「知っていることが実践の機会を奪う」
ことになってしまいます。
ですから、この名言に補足として、
「知っているなら、やってみれば?」
そしたら、“今の自分”に
どのくらい“できるか”が分かる
そう思いません?
現実世界においては、なかなか10-0
オール・オア・ナッシング
ってないものですよ。
“出来ない”は、“頭の中”にしか存在しない
言葉の表現はおもしろいもので、
「知っていること」は「できること」とは
違うとしても、
「知っていること」は「できないこと」とも
違うのですから、
“やっちゃえ”ばいいんですが、
どうしても「できない」ことを「失敗」に
結びつけちゃうと、行動しにくい
…なんであれ、行動をすれば「経験」が
増えます。
仮に、上手く行かなかったとしても
次には避けたい「上手く行かないやり方」
が手に入ります。
出来ないとは、自分はやりたいんだけど、
自分以外の理由があって、
それで、“しないよ”という、
言い訳付き宣言だったりします。
失敗したくないから、出来ないというのも、
「失敗すると
恥ずかしい/迷惑がかかる/
時間がかかる/手間がかかる
…てな事が嫌なので、“しません”」
ってこと。
もちろん、生命の危機や、人間関係に関わる
理由もあるかもしれませんが、
“できない”は、次の行動で、それを選ばない
…選択肢をひとつ減らす表現です。
したいんだったら、すれば良いのにね…
といったら、
「そうできないから困ってんじゃん」
といわれますよね、よく知ってます。
…いつも思いますから。
行動できる“場”をどのように
創りましょうか?
どんなにいい教訓も、どんなに良いやり方も
私たちの次の行動の選択肢を奪ってしまう
ものであるとき、
・・・それは、役に立っていません。
仮に、今、抜け出したい状況に居たとします。
そこから抜け出すには、
これまでと同じ選択では何も変わりません。
だから、継続してその状況にいたのかも
しれません。
選択肢を消してしまっていたのが
“出来ない”感だったとしたら、
そこに応援…NLPでいうリソースを
見つけて、加えたいところです。
そこでまず、出来るかどうかは
一旦脇に置いて
「そもそも、どうなったらいいんだ?」
を探ります。
この状況から抜け出したい…
…だとしたら「どうしたいんだ?」
がないと、実際行動のしようがない。
…選択肢のあろうはずもありません。
“行動できない”は意外に、
「今できることは何か?」に
意識が向きすぎて
選択肢を創れなくなっていくところから
起こります。
私たちの、注意の向き方は
「灯台もと暗し」
で分かるように、
気づき漏れが沢山あります。
ですから、気づいたところから攻めるよりも
そもそもの「理想形」から攻めて
行動を作る方が、とても行動しやすい
やりやすい選択肢が見つかるはずです。
気づいていること、気づいていなかったことを
含めて私たちは、これまでにしてしまった
行動は変えられません。
でも、今この次にする行動は、
今、選ぶことも、創ることもできます。
その連続が、
好きな音楽を持ち運ぶことが
大きなオープンリールテープでしか
できなかった世界を、
オープンリールテープ何千本分の曲が
手のひらサイズの機械で運べる
世界に変えちゃいました。
それは、無理だ、出来ない、から
始まった世界ではなく
「こうなったらいいなぁ」
から始めて
「こんなことやってみよう」という
今この次にする行動を
選び続けてきた結果です。
日常の小さなことから、次の一手を
出来るだけ自分の想い通りに
選び始めてみませんか。
(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2016.4.29 一部改編)
http://nlpfield.jp/mailmag01/
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