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「何が幸いするか分からない」について考えてみた。

「何が幸いするか分からない」について考えてみた。

ここ東京ではこの季節
文字通り気分も晴れ晴れするほど
天気が良い。
それでも、調子が今ひとつの日も
ないわけでない。

何年か前から、とても“調子”・・・とくに気持ちの変化が
センシティヴというか、ちょっとしたきっかけで
乱高下することがある。

直接の因果関係があるかどうかは
分からないけれど、6年半前の入院。

・・・軽い脳出血。

頭の中で起こったこととは言え、
幸いにして、軽く済んだのがラッキー。

さらに、一時的に
相手の「指示詞(これ、あれ、あの・・・)」の
中身が分からなくなった。

でも、コーチとして相手の話をしっかり聞くには、好都合。
フリでも、義務でも、役割でもなく
その当時は、純粋に、よく繋がりが分からない。
だから、確認する。
この、ある種“純粋に聴く/訊く”の感覚がよりつかめたのは
この病気のおかげ。

何が幸いするか分からない。

さらに、入院時には、どうしても参加したい(必須)だった
セミナーを欠席せざるを得ず・・・。

その結果、トレーナーの先生を追いかけて
海外で受講するという、体験を
必要性から・・・する事になった。

で、そこに参加してつぶやいた一言。
「あぁ、何とでもなるんだな、やり方はあるもんだ」

実体験で、将に腑に落ちるとはこのこと。

という訳で、僕のこの数年は、
自分の“身体”に、色々と教えてもらった
と言うことになる。

・・・もちろん、身体からの学びをするのに
   「病気」や「体調不良」が
   必須なわけではない。

ただ、僕の場合は、そのおかげで
自分の「身体」に、これまでの人生で
したことが無いほど、相談というか対話
したようなのだ。

…まぁ、その病気になる数年前から
 自分の言葉の使い方、五感の使い方を
 意識的に学んでいたのも
 あるいはプラスに働いたのかもしれない。

少なくとも「ひじま、まさき」としては、
一度きりの人生。

40年以上、付き合ってきた
自分自身の身体、人間関係、環境を
フル活用して、
今、現に生きている、日本、地球で
使えるチャンスやものに、
ある意味、敏感に、貪欲に出会う。

起こること全ての活かそう・・・なんて、
6年半前のことを思い出した、そんな朝です。

…調子が上がらないこと、それはそれとして
 調子が上がらない中でも、ラッキーなことに
 出来ることに出会いながら。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.8.14 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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