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◇“否定”はそれだけでは役に立たない

◇“否定”はそれだけでは役に立たない

ちょっと近くに出かけたとき、
丁度、お昼時、
 「何、食べよっか?」
 「何でも良いよ。」
 「そっか、じゃ、この店はどう?」
と、目に入ったファミレス。
 「ファミレスは、嫌だな」
で、少し歩いて、見つけたパスタ屋さん
 「どう?」
 「パスタの気分じゃないし~」
気を取り直して、寿司屋のランチ
 「さっぱり、お寿司はどう?」
 「お米ねぇ~乗らないなぁ」

「何でもよくないじゃねぇかよ!!(怒)」

多少のデフォルメはありますが、
ときどき起こる
「“なんでもいいよ”からの“ダメ出し”ラッシュ」
夏の暑い日だったら、なおさら喧嘩になる(苦笑)

記事上で、冷静に見れば
「ダメ出し」している方は
何が食べたいかを相手に伝えることは
出来ていません。

・・・でも、食べたくないものは
   明確に伝えられている。

しかし、提案を“否定”することでは、
おいそれとは、食べたいものには
たどり着けない。

そもそも、「ダメ出し」した当人も
何が食べたいか分かっていない。

さらに、悲しいことに、
「これはどう?」と提案した側にしてみれば、

自分のアイディア…自分が良かれと
伝えたことが“否定”されるわけで、
気分が良いはずもない。
それが繰り返されるというわけ。

中身としては、提案したお店(食事のジャンル)が
“否定”されたのだけれども、
何度も否定が続くと、よかれと思う(好意)が
“否定”されたように感じてしまう。

会議や議論でも“否定”は上手に使う必要があります。

どこかの国の議会であるように
相手の“人格”を否定するようなものでは
何の解決どころか展開もないわけで。

“否定”(語)はとてもパワフルなモノです。
なにしろ、それが締めるモノ全ての
ないコトにするのですから。

しかし、パワフルなのはここまで。
そこに残るのは、単なる空白。

空白だけならまだしも、
先程のランチの会話や、どこかの国の議会だと
憎しみや拒否反応・・・話し合いに適さない
心の状態だったりします。

つまり、どういうことか。

会議であったり、誰かの提案を受けるときならば、
自分のアイディアを提案する準備は
必要かもしれません。

相手の提案を、無きものにするのですから、
その意見のスペースを空白にした責任は
“否定”を伝えた側にある。
そう考える方が良いと思いません?

もちろん、全ての場面でとはいいません。
もしも、あなたが会話の中で“否定”の応酬と
なって、話が動かないとき
・・・あっ、対話の場所を荒らしてしまったな
   
と気づいて、一旦場慣らしがてら、
「どうなれば良いんだっけ?」と
ムードを変えるのも良いかもしれません。

同じように“否定”・・・ダメ出しで留意したいのは

相手へのアドバイスのつもりで“ダメ出し”するとき。

「○○が良くないんだよね」と伝えるつもりならば
 …「提案があるんだけど、△△に変えてみるのはどう?」

と具体的に代替案を提案する準備を
しておくのが良いかもしれません。

「~はダメです。いけません。」だと、
そこは、タダの空白。
何も埋めるモノがなければ。

間が悪いと。
 “~”以上に、不都合なことを始める
可能性だってあるのですから。

よかれと思って、単なるダメ出しだと
…「はい、はい」と聞き流されて
 最終的に頼りにされなくなるのは
 悲しいとおもうんですよね。

“否定”形の使い方について、色々考え見ましたが、
自分の中、あるいは、相手の中で
具体的になっていないとき・・・否定形を
使いがちだということに気づけば、
互いの会話の中で、
「~でないとしたら、
 どうなれば(なにがあれば)いいんだろ?」
とその中身を探求するきっかけに
して行く事ができそうですね

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.8.4 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/


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