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“しっかり”いいかげんにするについて考えてみた

“しっかり”いいかげんにするについて考えてみた

自分自身のコミュニケーションや言葉について
ときどき、ふと考えるんですけど。

“しっかり”頑張る・・・これは成立しやすい。
そうなんです。
“しっかり”と“頑張る”とは、相性が良いというか
よく似た感じを醸し出す言葉だから。

でもね、たとえば友達から、
あるいはお医者さんから

「すこし、お疲れなので、
 しっかり休息を取って下さい。」

なぁ~んて風に言われる。

 “しっかり”と言う言葉、
 いわゆる「休む」という雰囲気が
 そぐわない。

 つまり、“頑張って”休むという感じだ。

すると、こんな話になる。

 「具体的にどのように休めば良いですか」と。

そう、意識は
“完璧”に休もう、“正しく”休もうと。

…“休む”を、がんじがらめにしてどうする!って感じ。

そう、できれば緩めでお願いします。

日本語には良い言葉があります。
「いいかげん」と言う言葉が。

「いいかげん」と言うと、
(丁度)良い加減という風にもとれますし
 でたらめだぁ~という風にとれますが、

少なくとも“完璧”とか、“正しく”からは
離れた対極にある表現。緩い感じしませんか?

そこで、私達の(日本人的(笑))意識は、
“完璧に”いいかげんにしようとしたり
“正しく”いいかげんにしようとしたりします。

…矛盾です(笑)

なので、ここらで手を打って、

“いいかげん”が完璧に出来てもいいし、
“いいかげん”ができなくってもいい。
不完全な“いいかげん”こそが、
まさに“いいかげん”になる。

結局は、“ま、いいか”という
自分の選択や、行動とその結果を
認める、受け入れる、赦(許)す。

ここが、実を言うと、
自分自身が自分自身の自由を手に入れる
って事になると思うんですよね。

タイトルにある、
“しっかりいいかげんにする”は、
自分がその時に、自分のチョイスに対して
自分が受け止める。

…しっかりでもいいし、いいかげんでもいい。

私達は、言葉を意識的、無意識的に
使い始めた頃から、
きっと、この手の矛盾的な意識の中に
住んでいるんです。

だとしたら、ときどきは、
考えすぎるのを手放して、
“いいかげん”に身体に任せて
進んでみるのも良い・・・そう思いませんか?

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.7.17 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/


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