小学生の頃、
「先生の言うことをちゃんと聞きなさい」
「宿題はちゃんとやりなさい」
「席にちゃんとつきなさい」
と言われると、
何だかよく分からずに、
「守んなきゃダメ」
だから守るとか、
「先生恐くないも~ん」
って言って守んないとか。
一見、“生徒のため”を思って
大人は言っていたように見えますが・・・
その実解決したかったのは
「大人(先生)の困り事」。
解決したかったのは“大人(先生)”の問題。
生徒がの言うことを聞かないと、
生徒が宿題はちゃんとやらないと、
生徒が席にちゃんとつかないと、
先生が想定していることが達成出来ない
・・・困るわけで。
もちろん、先生が
生徒に分かって欲しいこと
生徒に練習して欲しいこと
生徒に聞いて欲しいこと
は、生徒のためのことではありますが、
問題として“いまここ”で起こっているのは
やっぱり、
「大人(先生)の困り事」なんです。
それを、
「あなたの為だから」と
子どもに無理矢理押しつけても、
当の子ども達は、“困っていない”の
ですから、行動を変える必要がありません。
実のところ
“自分の困り事を解決するために
協力して欲しい”というのが
その本質だったのに。
・・・このことに気づいていないと
どうなるか。
「(叱るというより)怒ってしまう。」
恩着せがましくなるか、高圧的になる。
権力振り回しまくり!
相手を説得する“ロジック”が
成立していないことに気づいていない
上に、「あなたの為」だと思っているのに
受け入れてもらえないから、
これこそ“逆ギレ”だったりします(苦笑)
・・・この構造が問題解決の問題の構造です。
これが職場で起こるとパワハラなんてことになります。
「問題は“困っている”側に
とっての問題でしかない。」
言い換えれば、
「問題解決は、“困っている側”が
協力を求めるプロセス。」
と理解できたらどうでしょう。
・・・もちろん、そこには、
感情的なモノ、そして、どちらが正義といった
価値判断が加わるのですが。
もしも、“問題そのもの”を解決したいとしたら、
問題そのもの と
価値判断 と
感情 とを分けてみる
のはいかがですか?
私達自身のコミュニケーションについて、
沢山の視点があること、
相手と自分との間にも違った観点があることを
知ると、自身の世界が、人生が豊かになる。
これもまた、私がNLPをお伝えする中で
実現したい変化です。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.6.30 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/
Team-Awakeners ひじままさきのNLP/コミュニケーションワークショップ
こちらのHPで紹介しています。→ http://liveasmyself.com/
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