「衣食足りて礼節を知る」って言葉があります。
中国の古典が語源の言葉です。
至極あたりまえなこと、ある種の原理原則だと思うんですよね。
多くの場合、自分が充たされていなければ
なかなか、他人のことまで気を配ることは
出来ないもの。
仮に、誰かに対して優しく出来なかったとき
生真面目な人は、そうできなかった“自分”を責めちゃう。
ま、大きな意味で言えば、自分が“充たされている”
環境状況を整えることを怠ったとすれば、
その行動は改善できます。
しかし、そこは、自分を責めるとこじゃない。
「誰か(具体的であってもなくても)のため」を
思うのであれば、それより前に、自分自身のために
そうですよね、
自分が“誰かのため”に心を
配れるようになるために「自分のため」を
充たすことが大切になる・・・訳です。
一見、禅問答のように聞こえると思うかもしれませんが、
自分が充たされてないと、「誰か」へのサポートや気配りは
長続きしません。
・・・自分がガス欠、充電切れになってしまいます。
すると、途中まで、気配りしていたモノが、
途切れるわけですから、
結果、相手の人は、期待させられて、はしごを外される
何てことにも成りかねません。
自分自身の望んでいることと比べても、
「誰かのため」という、相手へのサポートが、
中途半端で途切れてしまし、放りっぱなしになる。
これは、あなたの思う「誰かのため」の結果ではない
と思いませんか?
私たちは、自分の事についてももっと心を使って、
心を配っていいんです。むしろその方が大切です。
もし、自分の事を、昨日まで
蔑ろにしてしまっていたとしたら
今すぐ、自分のために時間を使って下さい。
給油、充電して下さい。
そう、もっと自分の望む“わがまま”を大切にすること。
そして、その先に、あなたの大切にしている相手のことにも
気を配っているとしたら・・・
あなたの“わがまま”は、祝福される我がままになるし、
誰かが協力したくなる“わがまま”になります。
そんな“わがまま”だったとしたら、
きっと、叶うでしょうし、
色々前進するはずですよね。
僕は、これをNLPのアイディアやスキルを
活用することで、だれもが“祝福されるわがまま”を
実現出来るそんな力を付け、そんな人になること。
そして、次の誰かの“祝福されるわがまま”の
実現をお手伝いできる人を増やして行きたいと思っています。
今朝もお付き合いありがとうございました。
image credit: lightwise / 123RF ストックフォト
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2015.5.6 一部改変)
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