某ネット企業のコマーシャル。
音声で検索をかけると
「かんぴょうを英語で」
すると、
“dried gourd shavings”(乾いたひょうたん(類)の削ったやつ)
と答えてくれます。
ネットで見ると
“干瓢(かんぴょう)”を表すのに
白い花の瓜のドライフルーツ
ユウガオのドライフルーツ
乾いたひょうたん(類)の皮 などなど
かんぴょうについて、その言葉で知っている
私たちにとっては、
なるほど、確かに・・・と思ったり
いやぁ、回りくどいなぁと思ったり
はたまた
新しいイメージに思えたり します。
「かんぴょう」 も
“dried gourd shavings” も
同じ物質(単にモノ?)を言葉化したもの
ですが、そこで伝わる、あるいは再度受け取る
体験は、少し違ったモノになると思うのですがいかがですか?
わたしたちは、言葉が意味する、
さらには、言葉が説明する事実に加えて
その言葉が持っている、“感覚”を
同時に受け取ります。
“かんぴょう”は多くの場合
干瓢巻きや太巻きで食べることが多いと思います。
ですから、もしかすると、
巻き寿司で食べる、あるいは軽食として食べる
そんなエピソードや“感覚”も一緒に受け取っていた
のかもしれません。
ですから、産地である栃木、茨城あたりでは
きっと、料理のバリエーションも多いでしょうから
その他の地域とは少し違ったエピソードや“感覚”を
一緒に受け取っていたと思います。
私たちには、言葉と体験、
言葉とその言葉の意味を理解するための五感的な想像
それらを繋ぐ“辞書”があります。
・・・ある文脈では、知識とよばれます
有る文脈では、思い込みとよばれます
そして、その
言葉 ⇔ 辞書 ⇔ 体験/想像
の繋がりは、瞬時でかつ自動的です。
言い換えれば、無意識に勝手に変換されます。
スマホやパソコンの漢字変換のように
当たり前の動作として・・・。
そう無意識に、変換していますから
その“辞書”が、今のあなたのいる世界(環境や状況など)に
合っているのか・・・最新版にアップデートされているのかどうか
気づきません。
勝手にアップデートされているかもしれませんが
大部分は、昔作ったまま。
子供の時に“絶対的な正解”だった教科書の記述も
「いい国(1192)作ろう」鎌倉幕府が「いい箱(1185)作ろう」・・・
に変わったり
「聖徳太子」を「厩戸王(聖徳太子)」と書くことになったり
してるんですよね。
そう、“絶対的”な辞書と思う代わりに
私たちの“辞書”はいつでも書き換えることが出来るし
自分自身が必要だと気づいたらいつでも
変更すればいい。
今のところは、あなた自身の“自分の辞書”についての“辞書”の
この部分だけ、変更しておいて頂けませんか?
はい、提案です!
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.5.5 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/
Team-Awakeners ひじままさきのNLP/コミュニケーションワークショップ
こちらのHPで紹介しています。→ http://liveasmyself.com/
LEAVE A REPLY