このブログにも何回も登場頂いている(笑)
フレーズ
「わかっちゃいるけど・・・」
私達は、「人」として、論理的思考、
筋の通った理由や根拠が、私達自身の
行動を促してくれることがあります。
一方で、そんな「論理≒ロジック」が
すばらしいことであっても、
「(感情の)動物」として、直感的に
行動が促されないこともあります。
それとは反対に、どう考えても
奇妙なことに対して、
「(感情の)動物」として、直感的に
行動が促されることもあります。
以前、上司によく言われたことですが
「人は理屈だけでは動かない。」
まさにその通りです。
それでは、どうして
「客観的に(≒多くの第3者が賛同する)
正しいと思われるロジック」
であっても、相手を動かすことが出来ない
事があるのはどうしてか?
それは、多くの人がその『正しい(と思っている)
ロジック』を“正義”であるかの様に振りかざしてしまう
事にあると考えられます。
仮に、その『ロジック』が正義となると
それに「賛同」出来ていない状況は、
“正義VS悪”の構図になりますから、
すると、意地でも自分を“悪”とみとめるわけには
いかなくなるのではありませんか?
・・・少なくとも、自分の意見、想いを持つ人は
自分の意見・想いを大切にしている
はずです。
つまり、自分自身を否定された感覚を
受ける可能性が少なくないのです。
この段に至っては、もはや意見の相違が
相手の「価値」や「存在」の対立にすり替わります。
もしここで、「意地でも」「絶対に」というような
フレーズを自分が言っていたり、相手に
言われているとすると、
議論ではなく、喧嘩にフェーズが変わっている
ことに意識を向ける必要がありそうです。
この状況で、どれだけ、あなたの意見の
正しさ、優れている点を伝えたとしても
全てのあなたの意見は、相手の「価値」「存在」への
批判としてしか伝わりません。
ここで、コミュニケーションを変える必要が
出てきます。
どう変えるのか。
円滑なコミュニケーションをするために
最も必要なのは、
相手との信頼関係
意見の相違がある、利害の対立がある
としても、
人として、議論を交わす役割を持つ者として
互いに尊重、尊敬し合う事が
それに当たるでしょう。
そして、これは円滑なコミュニケーションの
土台となるコト。
上手く行かなくなったコミュニケーションの状態は
いつでもこの関係を整えるところに
戻る必要があるのです。
ですから、どうコミュニケーションを変えるかというと
相手と互いに、今、何のために議論をしているのか
現在地を確認すると共に、意見の相違、利害の対立が
あることは理解しながら、対話者、交渉者として
互いの立場、役割、存在を尊重する。
これを確認することから、再スタートします。
・・・議論の最初に、予め伝えて共有しておくと
議論の場の関係が揺らいできたときに
リセットしやすくなります。
あなたが正しいと考えていることを(この文中でいえば『ロジック』)
を“押しつけること”は、「互いを尊重する」に反します。
すると結果として、議論がロジカルに繋がらなくなってしまいます。
ロジカルに進めようとした結果、ロジカルな議論にならない
ちょっとした皮肉な結果かもしれません。
あなたのロジックの正しさを単に主張することはときとして
相手の存在 < あなたのロジック
と相手に捉えられ、「ロジック」よりも「私(の存在)」を
蔑ろにされた、尊重されなかったと受け止められてしまいます。
そしてまた(戦術的ではありますが)
あなたのロジックが正論で、かつ、穴がなければないほど
相手は逃げ道を失い、『ロジック』の
土俵を捨て、存在への攻撃に戦場を変えかねません。
それが、話を「非ロジカル」へ、
「人は理屈だけでは動かない。」を立証すること
になってしまうのです。
あなたがあなたの『ロジック』を伝えて、
それに従って欲しいとき
そのコミュニケーションの目的は、
「相手を否定し、こてんぱんにやっつけること」
でしたでしょうか?
そうでなければ、
相手を追い詰めることの代わりに、
相手が持っている意見との相違を丁寧に確認するために
相手の意見を『聴く』…紙やホワイトボードなどに
書き出して、可視化するのもいいかもしれません。
そして、あなたの意見を伝えながら
相手と一緒に、最終の『ロジック』を創りあげて行く。
そのロジックが、あなたにとって、あなたの目的に
適うモノになれば、それで良いのではないでしょうか?
人は『ロジック』の正しさだけで動くのではありません。
先週お伝えしたフレーズとほぼ同意義ですが、
自分が「良いと思った」「やりたい(やるべき)」と思ったから
動くのです。自分で「やる」(と心から)言ったことは
少なくともそのための行動を始めてくれます。
コミュニケーションは、相手を打ちのめすものではありません。
相手の意見を捉えつつ、良いものは良い、悪いものは悪い、
受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないことは拒否する
これを相手と交わす、言葉、資料、等々を通して理解していくことです。
コミュニケーションは、まさに誰かとの「協働」成果を手に入れるために
するものではないでしょうか?
このあたりに、妥協ではなく、相手との関係を
保ちながら、最大の合意点を探るヒントが
隠れています。
では、また。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.6.10 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/
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