子供の頃、家の前に
パチンコ屋さんがありました。
地方ですから、駐車場があって、
そこには、時々パチンコ玉が
落ちていました。
そしてそこは、僕にとって
“箸のトレーニング場”だったのです。
幼稚園くらいのとき、
ウチの祖母は、箸の持ち方に厳しく
パチンコ屋さんがお休みのとき
駐車場に落ちているパチンコ玉を
10個お箸で集める。
そんな特訓(?)をしていました。
今から思い返せば、時々泣きながら
やっていた気もしますが…
今考えれば、そのおかげで
お箸はそれなりに上手に使える
様になっている気がします。
こんな些細なことであっても、
私達の全ては、多くの事を
楽しんで、あるいは、苦しんで
身につけるまで頑張ってきました。
ですから、「頑張ること」が
全てを解決する。そんな事を学んで来たの
かもしれません。
しかし・・・もしかすると(子どもや学生の時のように)
それは、誰かのサポートの元である必要が
あったのかもしれません。
頑張るの“頑”は「かたくな」
ー意地を張って自分の主張や態度を変えない様子
を指します。
文字通り、柔軟性にかける姿勢。
丁度、無理を押して試合に出場した
スポーツ選手がその“頑張り”のために
ケガをしてしまうのに似ている状況と
言えるかもしれません。
つまり、“がんばる”ことは
何のために“がんばる”のかを通り越えて
“がんばる”ために“がんばる”様な形で
まさに頑なに“がんばる”を追求し始めがちなのです。
ですから、子供の頃、あるいは学生、
場合によっては、コーチやトレーナー
上司のように、誰かのサポートで
鍛えるとき、育てられるときには、
「頑張ること」は多くの事を解決します。
なぜなら、自分の外側で
何のために、何を目指して「頑張る」のか
なにを、どのように「頑張る」のか
を後見してもらえたり、相談できたりして
その“頑な”さを客観的に扱えるからです。
つまり、
柔軟な“頑なさ”は、私達自身を鍛えつつ
私達が継続的に成長したり、
自らの価値を発揮するために大切な
感覚、概念と言えるかもしれません。
繰り返しになるかもしれませんが、
その「頑張り」は、気づかぬうちに
“頑張る”ことを一生懸命「頑張って」いた
かもしれない
逆方向に進んでいることに気づかずに「頑張って」いた
かもしれなかったということです。
さて、そこでどうすれば良いか?
と言うことになりますが、
まずは、この選択肢を手に入れて下さい。
“今”頑張る必要が無いかもしれない。
ということ。
・・・台風が来ているときに、“頑張って”ふとんを干す。
状況が整わないときに、慌てて頑張る必要は
ありませんよね。
・・・風で胃を壊しているときに、“頑張って”体力付けるために焼き肉を食べる。
体調(胃の調子)が整わないときに
スタミナ食は返って、体調を回復させないこともあります。
そう、人生数十年生きてきた経験を活用しつつ
「いつ頑張るの?」への答えを自分で“選択”する。
ということ。
究極を言えば、
頑張りたくなるまで(その気力が戻るまで)
頑張れるように整うまで(体調であったり、状況であったり)
“頑張る”必要は無い、あるいは、頑張ってはいけない
という選択肢を検討してみて下さい。
そして、今、
無理を押しても、“頑張る”時なのか
無理をせずに、“頑張らない”時なのか
その間の程度(どのくらい)も含めて
すべての選択権は、あなたにあります。
もちろん、
その“頑張る”対象が、他の方との関係の中にある
(お客さんや、家族との約束、上司からの指示などなど)
ときであっても、
すべての選択権は、あなたにあります。
そして、ただ、その決定を関係する相手に
丁寧に伝えることが必要なだけです。
もし、あなたが
“頑張る”選択をしたとしても
“頑張らない”選択をしたとしても
あなたが、相手にそのメリットを伝える
互いが手に入れたい、実現したい“価値”に適っていることを
伝えることで
あなたは、 “頑張る”選択と、“頑張らない”選択の
すべての選択権を取り戻すことが出来るはずです。
手前みそですが、こういった
相手の方に、自分の主張を伝える。
そして、相手と自分とに利点があることを双方で納得する。
さらには、途中の過程で一見、望ましくない様に見える
行動が、互いが手にしたい“価値”に適うことを伝える。
そんなコミュニケーションが、
自分が“頑張りすぎないために”大切だと考えて、
毎月、“困ったとき”のコミュニケーション技術
「トランスフォーミング・コミュニケーション」
の体験会、開催しています。
ぜひ一度、お越しになってみて下さい。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.5.13 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/
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