「何をやっても上手く行かない。」
「どうしたら良いんだ。」
上手くいっていないときに、
“口をついて出がち”な
フレーズです。
これが本当だったら、一大事です。
いわゆる「処置無し」…どうすることも出来ません。
確かに、その状況に陥ったとき
自分自身は自分自身がいる状況を「そう」理解している
のは間違いありません。
しかし、だからといって、
何もしなければ、状況が変わりづらいのも
また事実。
そんなときに、役に立つのは、まず
自分の使っていた“言葉”に気づくこと。
「どうしたら良いんだ」というのは
次の行動、思考について分からない。
ということを伝えています。
今、もしこの(どうしたら良いんだと思っている)人に
何かしらの助言をするとしたら、どうでしょうか?
…たぶん、今、どのような状況で
そして、この先、どのような結果、状況、状態に
なりたいかが分からないと
いかなる助言をして良い物か・・・決められません。
この時に、私達は、
今目の前に対応する行動が、見つからないことに
気をとられて、自分自身をただただ
急かしていたということに、
こんな風に、上手く行かないとき、焦っているときを
後から分析すると、気づくことが出来ます。
ですから、私達はまず「落ち着け」と
周りから、声をかけてもらったり、
自分にも声をかけます。
つまり、自分の言葉は、今の自分の状態を知る
自分の無意識の声を知る手がかりになる
のです。
自分の使っている言葉が、具体的でなければ
多くの場合は、状況を具体的に
理解しようとしていないことが少なくありません。
そして同時に、現状を変えるための行動をするには
私達は、意識的、無意識的に
具体的な「状況の理解」と「行動の選択肢」が
必要な事を知っています。
すると、具体的を求める「意識と無意識」が
「具体的ではない」コトに対して
警報を「焦り」と言う形で知らせてくれます。
そして、そのコトは、状況そのものの問題、課題の前に
私達が「気づいていたこと」について
さらに、具体的な理解が必要であったことを
伝えていたに過ぎないのかもしれません。
「何をやっても上手く行かない。」
「どうしたら良いんだ。」・・・処置無しなのではなく、
「何をやっても上手く行かない。」
具体的に、行動したことの中で、上手く行かなかったことは何か?
まだ行動を試していないことには何があるか?
を訊ねているに過ぎません。
そして、「どうしたら良いんだ」は、
「そもそも、どうなったら良いんだろうか?」
「そのために、今できること、頼めることは何だろうか?」
を自分に尋ねることが出来ます。
自分がふと発する言葉、伝える言葉は
私達の意識だけでなく、無意識に気づいている事が
その内容、表現(単語の選び方)に影響を
与えてくれています。
そのちょっとした違いに興味を持ってみませんか?
それだけでも、私達の日常で、
随分沢山の違い、変化を作り出せることに
なるはずです。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.5.6 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/
LEAVE A REPLY