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原因究明と責任問題

原因究明と責任問題

刑事ドラマを見ていると、
担当の刑事が、相手の非を責めて
罪を認めさせたり、
あるいは、証拠やトリックを見抜いて
反論できない形に追い込んで
事件を解決しますよね。

すべての問題がこんな風に
片付けばいいのですが・・・

問題が起こったとき2つの解決事項が発生します。

 再び同じことが起こらないようにするための
  原因究明と対策
 チーム、組織を引き締めるための
  責任の追及

往々にして、
建前上、原因究明といいながら
感情的に、責任追及の色合いが濃くなりがち。

これでは、原因なんか明らかにならないと思うのですが
いかがでしょう?

 良くも悪くも、その時点で
 問題が起こってしまう決断をしたとき、
 「問題を起こそう」と思って
 決断する人はいないと思いませんか?

なのに、その決断、さらには決断した本人を責めてしまう。

問題なのは、決断に至るプロセスや基準
決断した、行動の中身ではないのでしょうか?

 3.11の大地震、津波を始まりとする
 一連の、原発、避難に関する調査がでてきていますが、

 何か、その時の責任者を責める色合いが合ったり、
 その反対に、その責任者の責任を考慮して、核心に踏み込んでいなかったり
 するように見受けられます。
 (調査書を熟読したわけではないので、印象です。)

 人は、責められれば、自分の正当性を主張してしまいます。
 なぜなら、“生物の本能”として、自己防衛機能が
 働きますから。都合の悪いことは言わないかもしれません。
 
 すると、問題の核心に迫ることもなく、問題の改善にも
 繋がらないことになる・・・そんな気がします。

問題の核心に迫る前に、原発の再稼働が
既定路線にされそうになっています。

・・・個人的には、原発を今の日本政府と東京電力のまま
  稼働することには疑問を持っています。

なぜならどちらの組織も、問題の核心へと到達して
次に、同じような災害が起こったときに
対応出来る(問題から学んで、対処方法を策定している)
ようには思われないからですが・・・いかがでしょう?

マスコミの取材も含めて

昨今の日本社会、
原因究明よりも、責任追及が
大切になってきているとしたら・・・

ちょっと、不味いと思うんですけどね。

今日は、ちょっと重たいテーマになってしまいましたが・・・

どうぞ、「罪を憎んで人を憎まず」

周りの人と協力して良い一日を

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.2.26 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/

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