【今週のひと言】
あなたがなりたかった自分になるのに、決して遅すぎるってことはないの。
(ジョージ・エリオット/イギリスの女流作家)
It is never too late to become what you might have been.
George Eliot.
昨年の中頃だったでしょうか?
芸能界、スポーツ界の方を巻き込んで(?)
「努力は必ず報われる」論争があったように
記憶しています。
その中には、「努力に見返りを求めるのは違う」とか
「夢の実現のために努力をするのは良いが、どこかで見極めることが必要」とか
さらには、ソフトバンクの王監督が現役時代語ったといわれている
「報われない努力があるとすれば、それは努力とは呼べない」とか
もちろん、何を以て「努力」とし、何を以て「報われる」とするか
によって、見方は変わるとは思います。
ここにはそれぞれの人の“努力”に対する哲学が垣間見られます。
ー〜ー〜ー
すくなくとも、努力を始めるときには、
私たちは「なりたい私」へ一歩踏み出すことになります。
踏み出さなければ、なりたい私に近づきさえ
しません。
往々にして私たちは、
その一歩を踏み出さない理由付けを
しがちなのかもしれません。
・・・この年で…今から…
遅すぎるんじゃない? と。
このとき、「本当にそうなりたいの?」
と問いかけたられら、どう答えるでしょうか?
「なりたい自分に向かって」挑戦するでしょうか?
努力をしてみるでしょうか?
もし、その一歩を踏み出したいと思える
あなたが「なりたい自分」であれば
いつもそのチャンスと、可能性とはそこにあります。
もしも、今、そうではなかったとしても、
あなたが「そうなりたい」と言う気持ちの温度が
高まるまで、少し待つこともできます。
「努力は報われる」かどうかよりも、
もし、あなたが「なりたい自分」になるための
一歩を踏み出せたら、そこで見つかる
一歩一歩が、必要な努力になり、機が熟せば
きっと、後から振り返って「努力が報われ“た”」と
分かるのでしょう。
・・・それは、まず一歩を踏み出す、
そして、「なりたい自分」へ着実に
一歩(行動)を続けた後に分かるということ
だと思いませんか?
同じように、遅すぎたかどうかも後で分かること。
そう、ですから、
あなたがなりたかった自分になるのに、決して遅すぎること
ありませんよね。
どうぞ、良い一週間をお過ごし下さい!
(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2014.6.23改変)
http://nlpfield.jp/mailmag01/
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