こんな経験はありませんか?
疲れていたときだったのかもしれませんが
相手に強い口調で、
「そんな言うんだったら、お前がやれよ!」
と怒鳴ってしまい、
「あぁ〜、また短気を起こしてしまった」
と落ち込んでいると、
「また、俺、落ちこんでるよ、全く」
と自分にダメ出しをしていることにきづいて、
「また、また自分にダメ出しをしてる!」
と自分にダメ出しをして…
こんなのがグルグル回った経験です。
きっと、隣、友達がいてくれたら、
…一旦、自分を責めるの止めてみない?
と提案して、抜け出させてくれるのかもしれません。
このとき、
最後にダメ出しをした“私”は、
何についてダメ出ししていたんでしょうね?
最初は、
「相手に怒鳴ってしまったこと」
だったはずです。
しかしこの時点では、
相手に怒鳴るような短気起こした自分(1)に
落胆した自分(2)に
落ち込んでいる(3)自分に
ダメ出しをした自分(4)に
ダメ出しをした自分(5)
五段重ねで、自分にダメ出しをしていたりします。
・・・で、本当の自分って
どれでしょうね。
私達は、思った以上に
自分を直接見ていないのかもしれません。
もし、最初の
短気を起こした…その心の動きについて
探求をしていたとしたら、
自分自身のその本意、真意について
理解しようとしたとしたら
どうでしょう。
もしかすると、
短気を起こす前に対応が出来るかもしれません。
あるいは、
「相手に怒鳴る」以外のやり方を見つけられるかもしれません。
一方、ミルフィーユの層の
浅いところになればなるほど
行動や真因ではなく、
「私」が良い/悪いという自分に対しての評価に
変質していきます。
「私」が良くないといわれれば、
逆ギレ的に「どうすりゃいいってんだよ!」
なりますよね。
もし、上のような、自分へのツッコミの
グルグル回転、自分についてのミルフィーユ的思考で
問題や悩みが層をなしているとしたら
いちど、
「もともとの自分」あるいは「もともとの現象」は
どうだったのだろう?
ここに興味を向けて見ませんか?
ミルフィーユも(写真はミルクレープですが)
一層、一層は、とても薄いものです。
しかし、何層にも重なったとき
食べる私達にとって、ボリューム感、満足感を
与えてくれます。
…これが、自分に対するダメ出しや悩み問題であったら
このボリューム感は不要ですよね。
ミルフィーユだったら
こんな食べ方はしないかもしれませんが、
一層ずつ分けて
向き合ってみるのは如何ですか?
間違いなく、一層、一層は、軽いはずですから。
Image credit: szefei / 123RF ストックフォト
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2014.1.22 一部改変)
http://www.facebook.com/nlpfieldcafe
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