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▽▲楽観し過ぎると思考は止まるし、悲観しすぎると行動が止まる▲▽

▽▲楽観し過ぎると思考は止まるし、悲観しすぎると行動が止まる▲▽

ちょっとした暴論ですね。

色々な細かいことが気になる方に
「そんなに細かいこと気にすることないと
  そんな事は起こらないからさ、
   気楽に行こうよ」言ってみます。

そうは言っても、気になる方にとっては
「そんないい加減な、起こったらどうするんだよ
  何にも考えないでいい訳ないじゃん」

未来に対して見通しが立つと、
必要以上に私達はそのことに意識を向けません

初めての作業をするときが良い例かもしれません。
 成功までの道筋を体験していないので
 一つ一つの作業を、考え、確認しながら
 丁寧に進んでいきます。

そして、それが慣れてくると
 それこそは、音楽を聴きながら
 あるいは話をしながら、できることも
 増えていきます。

つまり、自動運転になるわけです。
自動運転であれば、考える必要は
ほぼありませんから・・・考えなくなる。

 細かいことが気になる方にとっては
 そこが気になるわけです。

 なぜなら、自動運転は、非常事態には
 うまく機能しないから・・・。

一方で、未来に対して不安を持ってしまうと
必要以上に私達はそのことに意識を向け、
確信が生まれるまで、行動を抑えてしまいます。

「石橋を叩いて渡らない」

事になります。

 ですから、色々な事に注意を払うことに
 なりますから、傍から見れば
 自動的に判断すれば良いのにと思う事にも
 都度確認をするので

全く進まないか、進んでも歩みは
遅くなります。

・・・どちらが良いというわけではありません。

楽観しすぎは、希望的観測での判断を
増やします。

 たまたま、上手くいったのか
 そうでは無いのかという、感覚や事象
 での確認無しに
 良い方に思い込むこと

既にご存じのように、原発のように
とても重篤な結果をもたらしえます。

また、悲観しすぎは、自己暗示的な
判断を増やします。

 もちろん物事によっては
 完璧を目指すべきモノはあるにせよ
 小さなうまくいかない可能性を
 気にして、行動が進まないことに
 なります。

・・・後者は、特に 重点的に注意を
   払うことと
   それ程払わなくで良いモノとの
   メリハリが大切になりそうです。

バランスといってしまえばひと言ですが

私達が知り得るいかなる情報も
一旦は、どんな意味も持ち得ません。

また、想定したこと以上の事は
その時点想定できないのですから
想像も付かない。
思考上も判断上も存在しません。

ここが、私達の世界の限界で有り
私達のチャレンジのポイントですね。

しかし、一度何かが起こって
私達(にとって)良い結果であれ
悪い結果であれ、
一定の結果、情報が手に入ったモノに
関しては、

楽観だけではなく、また
悲観だけではない目で、耳で、感性で

学んでいきたい…そう思います。

Image credit: leungchopan / 123RF ストックフォト

(初出 Facebook NLPフィールドCafe2013.7.17 一部改変)
http://www.facebook.com/nlpfieldcafe

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