日本人に多いと言われています。
物事は「完璧」にやりたいと考えすぎて
新しい一歩を踏み出しにくいと言う状況。
僕自身にも、そういう部分少なくありません。
確かに「完璧」にできると
なんか、気持ちいいし、美しい気もします。
もちろん、うれしい。
しかし、よ〜く考えてみました。
もし、出来たことが
『完璧』と言うには、
それ以上の進歩や、向上がない
と言うことになります。
手を加えることが出来たり
修正出来ることがあったら
それは既に「完璧」ではない。
つまり、「完璧」は「限界」を
示すことになりはしないか?
・・・ほとんど禅問答です。
「ちょっとぐらい、欠けている方が愛嬌がある」
なんて風に、若い頃は
言ってもらえたものですが。
実際の所
「これ以上成長のない“完璧な自分”」と
「まだまだ成長の余地のある“完璧でない自分”」と
では、どちらの方がいいんでしょうね?
そしてもし、何かが“完璧”にできると
思っていたことに、何か些細なミスがあったとき
それが、取るに足らないものであったとしても
そこにあった“完璧”は、一気に、信頼を
失うかもしれません。
そのもの自体だけでなく、不完全であったことを
“完璧だ”と判断した、その判断の“完璧”さを
疑ってしまう。
・・・全く禅問答です。
ですから、私は“完璧”に達するかどうかは別にして
追求する目標にしたいとは思います。
しかしながら、“完璧”にとらわれて
決断しない事をするのはやめです。
きっと完璧には、永遠に到達しないでしょう。
なぜなら、私達もこの世界も成長しつつけています。
宇宙も広がり続けているそうです。
だからといって、追いつけないからと諦めるのではなく
永遠のライバル?理想像として、追求するところに
“完璧”の存在意義があるのかもしれないと
決して完璧ではない僕は思っています。
・・・今日は僕の中は禅問答です。
では。
Image credit: scorpp / 123RF ストックフォト
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2013.6.12 一部改変)
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