自分が信じた通りに世界は変化し始める
・・・って、どんだけわがまま&自己中やねん!
とつっこみを受けそうですが、
子供の頃、大人とゲームをしたとき
負けず嫌いな僕は、負けると
「もう一回、“今度は”ズル無しだよ」
(やり直し時点で、ズルなのですが(笑)
と勝つまで、大人に付き合わせる。
付き合ってくれた大人の方は、
根負けして、半ばなだめるように
「わかった、わかった。強いなぁ!」
と言わせる。様なところもありました。
この「何が何でも勝つまでやる」というのは
なによりもその時点で、
自分が「勝つ」のを信じて疑っていません。
負けることを信じていません。
上の例では、子供ですから短絡的では
あったのですが、しかしながら、
自分が実現したい未来を信じ
実現をつゆほども疑わない。
すると少なくとも、「実現までのやる気」は
確保されるとは思いませんか?
もちろん、大人ですから、子供の頃の
「もう一回」っていうやり方は使えませんが(笑)
「疑念」は、そうではない事を信じること?
辞書の意味では、「疑念」というのは
あることを疑わしく思う気持ち です。
その中身を考えてみると、
「上手くいくかに疑念を持つ」とき
少なくとも「上手くいく」未来を完全に
信じてはいません。
そして同時に「上手くいかない」未来を
信じる部分も存在します。
後者が私達の心のブレーキを
発動させ始めます。
疑念が生まれるとき、そこには
自分にとって、未経験であったり、
経験が少ないことであるはずですから
(自分自身に疑いを晴らす根拠が不足)
結果として本来は信じていることの
一部であるはずの「上手くいかない」未来
に意識が行きがちになるわけです。
ここで整理しておきたいのは
私達は「信じたもの」を実現しようと
行動を始めると言うことです。
そんなときに、自分の挑戦に対する
「疑念」にあなたの信じることの
全体を支配される必要は無いのだ。
そう思いませんか?
自分が信じた通りに・・・今信じていることは?
私達は、本来自分の信じていること以外では
自分の行動を左右することは出来ません。
・・・会社の判断、○○さんの判断に従う
というのもまた、あなたが
「そうするのが良い」とか
「そうしなければならない」と
言うようにあなたが信じていること
なのですから。
では、あなたが手に入れたい明日、1年後、
さらに先の未来を手に入れる為に
どんなことを信じていられたら
良いのでしょうか?
もしかすると
既にご存じのことかもしれませんし
これから見つける物かもしれません。
見つかったら、まずは、それを
信じてみて下さい。
あるいは、それを言ってみる
(声に出す/出さないに関わらず)
もしも、それがあなたにとって望ましい
未来を創るのに役に立つとしたら。
そしてもう一つ
自分が信じた通りに世界は変化し始める
も信じてみて下さい。
あなたにとって、それが信じるに足る
ものになったときには、
あなたの行動がきっとあなたの周りに
影響を与え始めている証拠として
世界が変わり始めていることに
気づくはずです。
そんな事に思いを馳せつつ…良い週末を!
(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2013.9.6 一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html
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