小学校のの頃、体育の時間は憂鬱でしたか?
ワクワクしていましたか?
小学校1年生の頃、お世辞にも運動は
得意ではありませんでした。
走れば足は遅いし、鉄棒は回れない
泳ぐとすぐ足を着いちゃうし。
ですから楽しくないし、上手くいかないので
恥ずかしいやら、自分にイライラするやら。
すると何とかして、休めないかと
考え始めます。
それでも、体育の時間はやってきます。
そんな憂鬱な時間ですから、
速く時間が過ぎるのを待つようになります。
・・・すると、今から考えれば
何か上手くやるためにポイントを
伝えてくれていたかもしれないのに
何か上手くやる友達から
そのヒントを得られたかもしれないのに
何か上手くやるつもりで試してたら
何か掴めたかもしれないのに
体育の時間は『時間が過ぎるのを待つ』
と気づかずに決めていたようですので
小学校のある時期までは、
体育の時間は自分の願い通り
「憂鬱で過ぎるのを待つ時間」となったのです。
偶然に見つけた「おもしろいスポーツ」
小学校も3年生になったとき、
体育の時間に球技が入ってきました。
とはいえ、コツを掴むのがそれ程
上手ではなかったので、ボールが
扱えずつまらないままでした。
しかし、休み時間に沢山の友達と
遊ぶようになり、その友達と
ドッジボールをするようになりました
ドッジボールはそれ程楽しくは
無かったのですが、友達と
遊ぶのは楽しい。ということで
休み時間の短い時間というのもあり
「休み時間を楽しむ」と決めて
楽しんでいました。
すると、あるとき、ボールの扱いに
慣れてきて、ドッジボール自体も
楽しくなってきたのです。
「休み時間を楽しむ」もまた
自分の願ったとおり
時間を楽しみ、同時にドッジボールも
楽しむことになったのです。
私達は思った以上に、自分の想いに素直です
どんな状況でも、どんな事をするにしても
私達は、その状況、物事、時間を
楽しむことも出来れば
我慢することも出来ます
苦しむことも出来れば
気楽にすることも出来ます
もちろん、それぞれの方法は
今私達がいる状況と
願っている未来との関係、
(難しさ/容易さ/興味深さなど)
にも影響を受けるでしょう。
しかし、それをどんな気持ちで
どんな風にするかは、
自分で決められます。
そして、自分が決めたように
私達の五感は、思考は、記憶は
どんなふうに、
(楽しむ/苦しむ/我慢する/気楽にする)
かを見つけるように出来ています。
ですから、何かを始めるとき
これからのする事が完成するまでの
道のりを自分にとって
都合良く、楽しんでみることも出来る。
そう思いませんか?
ー〜ー〜ー〜ー〜ー
ドッジボールで味を占めた僕は、結局
小中学校の間、体育というのは楽しい時間になり
『体育』はワクワクする時間になりました。
・・・小学校1,2年の頃の僕を考えたら
信じられないくらい180°の変化でした。
まだまだ、寒い日が続きますが、
立春を過ぎた今、春はもうすぐそこですね。
そんな季節の移り変わりも楽しんで
寒さを越えていきませんか?
そしてこの週末も、満喫して下さいね!
(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2013.8.16 一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html
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