出かけて、昼食を何にしようかと
ときどき、相談すると、起こりそうなやりとり。
パスタにしようか ・・・いやだ。
中華にする? ・・・イヤっ!
ファストフード? ・・・やだ。
お昼食べるの止める? ・・・それもやだ。
提案してみると、それに対して反対がくる。
いくつか提案しても、それもだめ。
具体的な部分ではなく、行動その物を
止めようかという提案にも、反対が来る。
意見への反対や、否定は、ときとして
必要ではあるのですが、
考えてみると、多くの場合
提案を反対した後に、そこにあるはずの
対案がない場合があります。
・・・私達がまだ赤ちゃんだった頃
一番最初に持つ感情や意思表示は
何だったでしょうか?
それ欲しい(肯定)
それ要らない(否定)
だったはずです。
ですから、反対、否定というのは
シンプルですが、一番使い慣れた(もちろん肯定も)
とても、力強いの意志のひとつなのです。
ですから、
誰かの意見に対して、
違和感を持ってしまったとき
それに対する具体的な対案がなくても
「やだ」とか「反対」と
素直に、さらに力強く言えるのです。
子供の時であったり、保護された状況ならば
あるいは、相手に甘えられる状況ならば
きっとそれも許されるのかも知れませんが、
もし、一人の人として、
自分の考えや意志を伝えることができる
のであれば、
「やだ、反対」というだけではなく
それに加えて代わりとなる相手に提案をする。
必要があるのかもしれません。
なぜなら、
「やだ、反対」には、実体がないのですから。
その意見や考えに、反対するということは
分かりますが、ただそれだけです。
考えてみて下さい。
駅で、タクシーに乗って
「お客さん、どこに行きます?」
と聞かれて、
「ここにいたくない」
と答えても、タクシーは結局
どこにも付くことはできません。
ここに居たく“ない”という
“反対”、“否定”は、
結局、いかなる目的地をも
示していないわけです。
同じように、相手の意見に対して
「やだ、反対」と言うだけの言いっ放しでは
反対している物が避けられるどころか
場合によっては、現状よりも
状況が後退してしまう
そんな事が起こるのかもしれません。
あるいは、反対をして
一時的に避けることができたとしても
そこに収まるべき
新しい提案がなかったとしたら
・・・元々そこに納められそうになっていた
元の案が戻ってきます。
その考えの質がどうであれ、
実体のない「反対」よりも
反対された実体のある意見の方が
具体的に居座ってしまう。
こんな構造になっているのでしょう。
反対が価値がないと
言っているのではありません。
反対に添えて、さらに良いアイディアを
繰り出すことなしに
相手の意見を見事に退けることは
難しそうだということ。
ほんの一歩踏み出して
ほんの一歩考えを深めるだけなのかもしれません。
反対のための反対から
建設的に話をすすめるための反対への一工夫です。
image credit: nexusplexus / 123RF ストックフォト
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(初出 Facebook NLPフィールドCafe2012.9.6 一部改変)
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