ここ数年、国会ではなかなか議論がまとまらない時期があったり
昨今のように、一方の勢力が強すぎて議論にすらならなかったり
・・・という感じに見えます。
会議を議論の場として進めるためには、
議員さんの数、722人というのは、
そもそも多すぎるのかもしれませんね。
って言っても、決して国会議員の皆さんを
ムダだと言っているわけではありません。
人生色々、会社も色々、
社員も色々であるならば、議員も色々。
人数が多ければ多いほど、意見は様々です。
その様々な意見の落としどころ、着地点を
見つけていくのが、議会であったり
議論をするということじゃないのかな?
と、自分がまるで、小学生になったかのような
素朴な疑問に陥ります。
もしも、
相手の意見聞けないのだとしたら
自分の主義主張を通しきること
メンツが大切な方々の集まりであって
その意見を集約する話し合いが
できないとしたら
自分の主張が多い方々722人の
会議とかんがえたとき
・・・人数多すぎ?
なんて思うわけです。
議員さんが立法機関として
機能するためには、
異なった意見を戦わせて、
“議”論をすることができる適正な人数や
サイズはどんな物なんでしょうね・・・
考えてみれば、自分の意見をゴリ押ししたり
相手の意見をきちんと聞かずに、
最初から否定してかかってしまった。
そんな経験は、どんな人にもあるかもしれません。
異なった意見を、
敵視すれば、抵抗勢力ですし、
選択肢とみれば、可能性や見方ともなり得るかもしれません。
そして、その話し合いにおいて
最も優先すべき大切な事に照らして
最良の選択肢を選ぶためには、
その議論にでたどんな意見も、
選択肢の一つとして尊重するのが
議論ではないだろうか
そう思うのです。
どんなに親しい人でも、仲のいい人でも
100%完全に同じ人はいません。
時には、有る部分において対立を
生み出す可能性がないとは言えません。
しかし、もともと、人は色々ですから
異なった人同士だから
話し合っていくわけです。
異なった人同士だから
意見やアイディアも広がるのです。
異なった意見を、自分“たち”のアイディアとして
一旦テーブルに載せて眺めてみませんか?
ときには、自分一人では気づかなかった
思いもよらないアイディアと出会えるかもしれません。
さてさて、議論を丁寧にしていこうとすると
自ずと会議の発言者、参加者の人数は
限られてくるのではないかと思います。
あんなにヤジを飛ばされては、
聖徳太子だって、ヤジ+答弁の方の答えに
応えきれませんよね(笑)
立法のための議論の場としての
国会議員の皆さんの人数は
一体どのくらいがいいのか?
・・議論、話し合い、コミュニケーションの
観点から、今日は考えてみました。
では。
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(初出 Facebook NLPフィールドCafe2012.8.29 一部改変)
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