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“いつもここから”始めることができる

 四十の手習い?それって・・・

 この言葉、もともとは六十の手習いといって
 六十歳になって習字を始める事。
 年を取ってから習いごとを始めるたとえです。
 この言葉が生まれた頃は、きっと
 寝る間も惜しんで子育てや仕事をして
 (洗濯機も掃除機もありませんし)
 まさに“生き抜く”為に必死で
 それこそは、自分のために時間を使うなんて・・・
 そんな時代だったのかもしれません。
 
 ですから、きっと自分の時間を得て
 自分のやりたいことが始められること自体が
 とても嬉しいことだったのではないでしょうか?

 そう考えると、私達は電化製品も含めて
 少ないながらでも自分の時間を
 見つけて、何かを始めるチャンスを
 探すことが出来る環境にあるのかもしれません。

 でも、ついつい、比べちゃうんですよね、

 ○○さんは、もうそれを始めて□□年。
 それに比べたら、きっと始めても・・・と。
______________________

 新しい体験には、経験は無いけれど、
   年齢分の人生経験がそこにはある。

 かく言う僕自身も、40歳になる年に
 始めて本気で英語を使ってみたいと思って
 いくつかのチャレンジをしてみました。
 
 英語でのコーチングコースを受講しに
 シドニーに行ってみたり。
 今年は、ニュージーランドにNLPの
 コースを受講しに行ってみたり。

 もちろん、まだ、自分が望んでいるほどの
 そして、流暢に話されている人ほどは
 使えていません。

 でも、そこは、40年も
 “人とのコミュニケーション”をしてきました。
 6年以上、NLPというコミュニケーション
 に役立つ方法を学んで来ています。

 当然、英語を使って伝える努力もします。
 加えて、NLPや“人とのコミュニケーション”で
 培ったモノも使います。

 さらには、NLPを学んで身につけた
 「違いを創る違いはなにか?」
 ・・・つまり、僕が英語を話すのに
    出来ているとことはどこで
    出来ていないのはどこなのか
 を見つける。何かも使えているようです。

 いずれにしても、英語の経験は
 浅いのかもしれませんが、
 その時間は、また別の経験をしているわけですから
 その中に“英語でコミュニケーションをする”のに
 使えるモノを見つけて使えば良いじゃないですか。

 “いつもここから”始めれば、
      諦める必要はどこにも存在し得ない

 どんな人も、全く同じ経験をして
 今日を迎えている人はいません。
 そして、仮に全く同じ経験をしていても
 得意なやり方もあれば苦手なやり方も
 あります。
 つまり、どんな時期から始めたとしても
 上手くいくやり方と、そうで無いやり方が
 生まれるわけです。
 
 そして、昨日始めなかったことを
 仮に悔やんだとしても、その時間は
 戻ってきませんし、その時間をさらにまた
 過ぎ去った時間として悔やむだけです。

 つまり、いつもここから。
 いつもここからはじめればいいんです。
 始めると決めたいつもここが
 これからの未来のベストタイミング
 と言えませんか?

 そして、もし、遅すぎると思えたとしたら
 それは、こんな条件を忘れているはずです。

 (いわゆる)常識のやり方で始めるのは
 遅すぎるのかもしれないが、それは単に、
 今から始めるのに相応しいやり方を
 見つけていないだけのこと。

 言い換えれば、それを発見すれば
 一躍ビジネス書のベストセラー作家に
 なれると言うことでもありますよね。
 
 これまでの知識や常識
 ハウツー本にある情報からいって
 遅すぎると考えられていることは
 もしかすると、あなたが
 有名な○○の専門家になるチャンス
 なのかもしれませんよ。

 少なくとも、いつもここから始める
 ことを決めていたら・・・そのヒントに
 必ず出会えるはずです。

(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2013.2.8一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html

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