確かにそうかもしれません、でも・・・
再び子供の頃、悪いと思いつつも
子供らしい(と自分思うのですが・・・)ウソをついて、
祖母や母からこっぴどく叱られました。
叱られれば、叱られるほど
子供は、子供なりに、
ウソをつきたくなる理由が
ありましたから、
仕方が無かったという類の言い訳を
始めます。
すると、正論で叱られ始めます。
・・・もともと悪いと思っているわけですから
相手の正論は分からないわけではない
のですが、無条件降伏したくない(笑)
でも、いい加減お腹も減ってきたので
そろそろ謝ろうと思い、
神妙にこう答えます。
「そりゃ、ウソをつくのは悪いと思う。・・・・・
・・・でもさぁ・・・」
「まだ、わからないの!!!!!!」
「で・も・さぁ」で再び、お説教の嵐が復活です。
心の中の気持ちや思いが
ちょっとした表現に表れてきます。
子供のまぁくんは、
悪いと分かっていたけれどウソをついた。
そして、ウソをつくことになった理由も
ある。・・・それを分かって欲しい。
と思っていたので、
ちゃんと謝って事を治めたいという気持ちから
謝り始めました。
しかし、その段階では、ウソをつくことになった
理由や悪いと思いながらやったことを
充分に分かってもらえてない、分かって欲しい
が残っていました。
その想いから、ついつい「でも」が
口グセ的に口をついて出てきました
悪い点については謝りたいけれど、
全面的に悪いわけではないから、
そこについては謝りたくない
と言う想いが「でも」となって表れたようです。
しかし、この「でも」という言葉
聴く側にとっては、それまでに話してくれたことを
ちゃぶ台返しのように
ひっくり返して否定をされるような
理解を促してしまうのです。
どんなに神妙に丁重に反省を見せたり
謝ったりしたとしても
「でも」という言葉のプログラムが
それを全否定することがあるのです。
・・・企業やお店での謝罪の上手くいかなかった例で
こんなちょっとした言葉が
せっかくの「ごめんなさい」を
半減させていたのを見たことがあります。
(若い頃、僕もしちゃったことがあります。)
言葉は「無意識」に出てきます。
でも、丁寧に扱おうとすれば「意識」して
使いこなすことができます。
口グセという表現をしましたが、
特に私の場合、素直に受け入れることに
違和感を持つとき「でも」が出がちでした。
そして、あるとき、そのことで
随分余計に叱られたことに気づきました。
そこで、私が「でも」を丁寧に扱うために
考えた作戦は、
1.「でも」と言いそうになるのに
気づいてみよう。
2.素直に受け入れたくない「違和感」に
気づいてみよう。
というもの。
つまり、どうにかして「でも」を
言う時かどうかを自分で決めたいと考えました。
それで、考えたのがこの作戦。
・・プラス、相手の意見をできるだけ
最後まで聞くこと。
相手なり、自分の思いなりに反対の思いを
伝える時に「でも」が出てくるのですから
その手前の兆しの段階で分かれば
もっと「でも」以外の表現を選べるかもしれません。
伝える言葉を、意識する、丁寧に扱うというのは
実は、あなたの表現力
あなたの、伝える力の可能性を
高める事になるわけです。
選択肢が多ければ多いほど
よりベストな選択の可能性が
高まりますからね。
「でも」だけでなく、
・・・理由が分からないのに
彼氏、彼女を怒らせてしまった。
それが多くなってきたら
もしかすると、あなたがつい
使っているいずれかの言葉に
そのヒントがあるかもしれません。
親しい相手だからこそ
ちょっとだけ丁寧に言葉を使う。
それで、ちょっと伝え方変えてみませんか?
(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2012.11.30一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html
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