「て〜へんだ、て〜へんだぁ」
ちょっと懐かしい昭和の時代劇、
「親分、て〜へんだ、て〜へんだぁ」から
物語が始まったものです。
騒がしく登場するのは
良い奴だけど、ちょっとがさつで小心者の
岡っ引きの子分。
本当に大変そうに聞こえる子分に対して
親分は落ち着いて「いったいどうした?」と
さすがの貫禄。
この二人のやりとりの温度差は
子供心に見ていて、不思議な世界でした。
と、同時に親分役の役者さんが
とても大人物にも見えたりしました。
「て〜へんだ、て〜へんだぁ」は
大変そうに聞こえるけれど、
実際の所、まだそこには具体的に
解決すべき「大変なこと」は
姿を現していません。
「大変そう」自体に浮き足立つ必要は
ありませんよね。
気持ちに余裕がないとき、もしかすると
この「て〜へんだぁ」を不安に思っていた?
「て〜へんだぁ」にとらわれていると
文字通り大変です。
ただただ、気が焦ります。追い詰められます。
「て〜へんだぁ」なのにです。
ここで深呼吸して、この「て〜へんだぁ」を
そのまま放っておいたらどうなるか
ちょっと未来のことを想像しようとして
みましょう。
未来も「大変」のままだとしたら
この「て〜へんだぁ」を具体的にしていけばいいのですが
多くの場合、「大したことでは無かった」
事があるのです。
むしろ、「て〜へんだぁ」に振り回されて
今やるべきだったことに手を付けられなかった
事の方が“影響大”何てことの方が多かったのでは
ないですか?
よくよく考えると「何が不味くなるのだろうか?」
と相手を絞ってみよう。
「大変だ」思っているとき、その心の状態を
抜け出すためには、一旦、「大変だ」の中身を
分解する必要があります。
皆さんも通常考えてることだと思いますが、
例えば「時間が無い、大変だ」であれば
・今、使える時間は具体的に何分あるのか?
・何を実現するのに時間が無い(足りない)のか?
・それを実現できないことで起こる課題を
その時間で出来るかもしれない別の行動には
どんな物があるのか?
・・・押してダメなら引いてみる。
今まで予想、計画してきた考え方で進むと
上手くいかない。というのが
いわゆる「て〜へんだぁ」なのですから
そのやり方の呪縛から解き放たれるためには
よくよく考えると何が不味いんだろう?
というような、困っていることの目的や
その困りごとを解決したその先にあるものを
探ることができます。
押すことばかり考えていたら
もっと強く、もっともっと強く、と
・・・引くに引けない答えの見つからない
迷宮に入っているのかも知れませんよ。
柔軟さと言うほどではありませんが、
ちょっと視野を引きで。
全体を眺めてみるのは如何ですか?
(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2012.10.19一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html
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