今日は、アイディアが
何にも出てきません。
そこで、自分の
その、“なぁんにも”出てこないあたりを
ちょっとだけ観察してみます。
まるで、沸騰しているお湯の泡みたいに
「こんなアイディアは?」
「いまいち」
「じゃぁこれは?」
「最後まで行けそうにないなぁ」
なんていう自問自答が
ポコポコポコポコ
なかなか進まないことに
しびれを切らした
「何かを書きたい自分が」
今日は、何にもでない・・・駄目だぁ~
と言って、思考を終了している
こんな風に、
もう少しピンポイントで
自分の中で起こっていることを
観察すると
なぁんにもないと思っていた
ところにも、何かしらのアイディアが
(使える状態だったかどうかは別ですが)
あることがわかります。
自分であきらめているだけかもしれません。
ほんの数百文字の
文章を書くのに
必要な人生の時間は
たとえば、42になる僕ならば
42年×365日×24時間=367,920時間分
のエピソードが
なぁんにもない水面の下には
いろんな形であるはずなんですよね
ただ、今ほしい形に
なってくれてないだけかもしれません。
その引き出し方は
学ぶことができますし
練習することもできますが
「なぁんにもない」と思った
その下の可能性すべてが
を信じてあげることなしには
今回のこのブログを書くことも
できませんでした。
私たちの可能性には
なにもないと思っていても
その水面下からは
沸騰したお湯のように
何かが現れてきます。
そう、すべてのひとの
すべての状況の時でも